2018年10月31日水曜日

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 7

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 7

近野由利子

9/11 終日、コキヤの渓谷を歩きまわって、洞窟を探す。
午前中は尾根沿いを歩き、午後からは谷を降りて、川沿いを歩く。
歩いて行けないような険しい場所は、ドローンも活用した。しかし、前日の下見で目星をつけた場所はことごとくハズレだった。
尾根上の洞口をドローンで偵察
切り立った渓谷だけど、場所を選べば川まで降りられる

川から見上げると、尾根から20mほど下の垂直な壁に洞口?が見つかった。
トゥルンが「さっきあの穴に山羊が入っていったよ」と言うが、山羊が出てくるのは誰も見ていない。

山羊は歩いて行けるけど、人間はとてもフリーでは登れない場所なので、尾根の上からロープを垂らして、壁を降りて、洞口に入ってみることになった。

尾根に上がって、洞口の上まで近づき、下降地点を決定したときはすでに夕方近かったので、とりあえずアンカーを一本打っておいて、明日の朝降りることにした。
セシリオがアンカーを打った

岸壁をロープで降りてみるという計画に、みんなワクワクしている。

しかし、この日、キャンプに帰ると、アレクセイが、明日から参加するブルガリア人がいるので、その人を迎えに行くために、明日の夕方までにナリンの町へ行かなければならないと言い出した。
ナリンの町までは3時間以上かかるので、翌日の昼にはキャンプサイトを撤収したいそうだ。

あまり時間がないので、翌日はとりあえずセシリオと吉田さんの二人が壁を降りて、もし洞窟が大きかったら、いったん撤収してから、ブルガリア人も一緒にまたこの渓谷に戻ってきて、全員で降りる、ということになった。

9/12 全員、朝から急いで尾根に登り、セシリオと吉田さんが壁を降りるのを見守った。期待に反して、予想どおり?、やはり穴は奥までつながっていなかった。

トゥルンが見たと言う山羊もいなかったそうだ。
近くにはもう一つ穴があったけど、それも岩陰レベルだったとのこと。

ミゲルは「まぁ、こんなもんさ。20個の洞口
を見つけても、1つも洞窟が見つからないときもある」と飄々としている。

12:00にはキャンプに戻って撤収し、13:00にはナリンの町に向けて出発していた。
次のキャンプサイトは、ナリンの町から車で20分くらいの場所なので、いったん次のキャンプサイトへ向かう。

ところが、16:00にキャンプサイトへ到着したが、その場所の管理者の人が、中に入らせてくれない。そこは国立公園のような場所らしく、立ち入りの許可はアレクセイが取ってあるのだが、管理者の人が特別な許可証がないとダメと言って、通してくれないのだ。

アレクセイは困った様子で、いったんナリンの町へ行って、役所の責任者に相談すると言う。もう夕方なので、今夜はナリンに宿泊することになった。

予定外のことだけど、みんな5日ぶりにシャワーとWifiにありつけると分かって、はしゃぎ始めた。突然だったので、ゲストハウスが空いていなくて、チェックインまでに2時間かかった。しかし、部屋が決まるとすぐ、私たちはシャワーを浴びたり、ベッドで休んだり、思い思いにくつろぎ始めた。
ゲストハウスで、ひさびさのWiFiにありついた

一方、アレクセイたちは何だかモメ始めて、駐車場で言い合いをしている。後でトゥルンに聞くと、色々と事件が起きていたようだ。

一番大きな事件は、レナが翌日から家に帰ってしまったこと。どうやら体調が良くなかったらしい。

そんなことも知らず、私たちはくつろいで過ごしたあと、夜は隣のBBQレストランでビールとキルギス風BBQを楽しんだ後、快適なベッドで、凍えることもなく、ゆっくり休むことができた。

9/13 快適なゲストハウスの部屋で目を覚まして、外に出ると、ゲストハウスの庭でレナが朝食を用意してくれていた。レナが作ってくれる食事はこれが最後だったのだけど、そんなことは知らずに...。

朝食の後、アレクセイが役所で許可をもらうと言って出て行き、トゥルンも4WD車の修理に行くと言って、運転手と出ていった。

いつまで待てばいいのかわからず、何もできなくて、暇を持て余したけど、12:30ごろにようやくアレクセイたちが戻ってきた。
アレクセイは「責任者が来るのを待っていて、遅くなっちゃったよ」と言っていた。

待ちくたびれたみんなで、ランチを食べて、水や食料を買い足してから、昨日のキャンプサイトを再度訪れた。今度は、管理者の人はすぐに通してくれた。

15:00ごろにやっとテントを立てたら、アレクセイはブルガリア人を連れてくると言って、またいなくなった。トゥルンから、レナがいなくなったことを聞いたので、みんなでテントの中を整理して、夕食を作り始めた。
ナリンの町の近くのキャンプサイト。奥に見える山に洞窟を探しに行く予定。


カーチャがテキパキと食事の用意を進めて、みんなでテーブルを作ったり、食材置き場を整理したりした。

トゥルンは、特製サラダを作ってくれた。暗くなったら、マーティンとギルバートが電球を探してセッティングしてくれた。
いつも全部用意してくれていたアレクセイに感謝!

19:30ごろ、ブルガリア人の女性が突然やってきた。
ヘレエナという名前の生物学者で、キルギスのこうもりの生態調査をしている。
ヘレエナは、ものすごくおしゃべりで陽気な人。去年、初めてキルギスに来て、キルギスの人や自然が大好きになり、アレクセイの活動にも共感して、今年も再訪したそうだ。

彼女は、キルギスが2回目だし、ロシア語がペラペラなので、アレクセイの父親の地質学者セルゲイと車をチャーターして直接キャンプサイトにやってきた。
「アレクセイはどうしたの?」と聞くと、
「知らなーい。この場所探すの大変だったわよ!」とヘレエナ。
アレクセイは何をしていたのか、後からフラリと帰ってきた。

この日、夕方から雨が降り始め、夜中まで降り続けていた。

午前中はナリンでブラブラして、午後はキャンプサイトのセッティングと夕食の準備で、この日は一日すっかり無駄に過ごしてしまった。何もかも予定どおりに進まないし、外は雨だし、ちょっとチームのムードがヤケっぱちみたいな感じになってきた。

やっと完成した夕食をみんなで食べていると、
トゥルンが「明日でドライバーのミーシャは最終日だよ。帰っちゃうんだ。ミーシャのお父さんが交代で来るよ」
と言うではないか。
レナだけでなく、ミーシャまで帰っちゃうの!?
しかも、代わりにお父さんが来るって、どういうこと!?
と、チームが騒然となったところで、
トゥルンがさらに「ミーシャのお父さんは、レナの代わりに食事を作ってくれるんだって。料理ができるのか知らないけどね」
と言うではないか。
キルギスって、なんてテキトーなの!と、みんなで大笑いだ。

そこへ、ミーシャのお父さんと面識のあるヘレエナが、
「大丈夫、彼の料理はプロ級よ」と言ったので、みんな安心した。

いつもはミーシャのお父さんがドライバーなのだけど、今回はミーシャがどうしても参加したいと言って、二人が交代で来ることになっていたらしい。

ここの標高は2100m程度なので、格段に温かい。顔のむくみもすぐに解消された。

洞窟の見つからない日々のせいか、雨のせいか、標高が下がって楽になったせいか、みんなこの夜はちょっとウォッカを飲み過ぎました。

2018年10月24日水曜日

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 6

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 6

近野由利子

9/10 朝から下痢だ。
なんでだろう、変なものは食べていないのに。
とりあえず、下痢のときは薬は飲まずに出してしまったほうがいいのだけど、この日は移動日なので、車の中で緊急事態にならないように整腸剤を飲んでおいた。

8:30から朝食で、9:45には撤収も完了し、次のキャンプサイトへ向けて出発。
30分ほど走ると、道から一軒のユルタが見える場所で車が停まった。アレクセイたちの車がまた遅れているようなので、そのユルタで待たせてもらうことになった。

ユルタには、おばちゃんと2人の小さな子供がいて、トゥルンは友達なのかと思うほどズカズカとユルタに入っていって、おばちゃんと世間話をしていた。おばちゃんは、ニコニコしながら手作りパンと手作りバターと手作りクルシュ(馬乳酒)をドカドカとテーブルに出して「食べな、食べな」と半ば強要めいたおもてなしをしてくれた。

手作りバターは、塩が薄めだけど、さっぱりしてまろやかな口当たり。たぶん街で売っていたら高級品だ。クルシュも、ほどよい酸っぱさで、このおばちゃんのやつが一番美味しかった。だけど、みんなクルシュが苦手で、特にマーティンは「俺は一口も飲まないぞ!」と必死で抵抗している。
後から、アレクセイが追いついてきて、おばちゃんからバターとクルシュを大量に買っていたので、きっと地元でも人気なのだろう。

ユルタの中に初めて入ったけど、赤を基準にしたシンプルな模様のキルトで壁や床を覆っていて、異国情緒満点だった。ユルタの天井には、イゲタ模様のような木枠がはめ込んであって、その形はタンダック(tunduk)と呼ばれるキルギスのシンボルで、国旗のデザインにも使われている、とトゥルンが説明してくれた。

ユルタで大量のパンとバター、クルシュをふるまわれる

天井のタンダックはキルギスのシンボル
キルギスの国旗
おばちゃんにお礼を言って、ふたたび出発してから、1時間ちょっとで次のキャンプサイトに到着した。まだ昼だったので、翌日行く予定の谷へ下見に行った。

そこは、まさに写真で見ていたとおりのコキヤの渓谷で、青い川と白い岩山が大迫力だ。あいかわらず標高は3000mオーバーなので、少し斜面を登るだけでも息が切れる。大迫力だとは思うけど、体力的に厳しすぎて、感動する余裕がない。
こんなにいい写真を撮らなかったので、アレクセイの写真を借用


マーティンとカーチャ、セシリオとミゲルは、尾根から谷底の川まで降りて、川沿いの洞口を探している。
私と吉田さんと、ギルバート、アレクセイ、トゥルンは、尾根沿いを2手に分かれて歩き、洞口を探して歩いた。
このまま歩いて帰れる距離なので、19:00にキャンプサイトに各自で戻る予定だ。

上から見ていると、米粒みたいなマーティンたちが、川沿いを歩いている。そのうち、みんなズボンを脱いで、川を渡っていた。あとで聞いたら、水はめちゃめちゃ冷たかったらしい。恐ろしい。
私と吉田さんは、尾根を歩いて、岩壁を見て回った。私はかなり遠くの山に1つ気になる穴を見つけて、あとでアレクセイに聞いたら、「あれはもう調査済みの洞窟だよ。深さ60mだった。」と言っていた。それ以外は、全然良さそうな穴がない。
出国前にホームセンターで買った双眼鏡が大活躍した

初日に湖で見つけた洞窟がなければ、もうとっくに諦めているところだが、こんなところでもちゃんと洞窟があるのを見てしまったので、チャンスはあるのかもしれないという思いが捨てられない。

他のメンバーも同じ考えなのか、みんなコツコツと洞口候補を見つけてはGPSにポイントを落としている。いや、私はみんなよりちょっとやる気が無かったかも。

ふと気がつくと、ラオスの洞窟のことを考えてしまう。
「ラオスならもう10個くらい洞窟見つかってるだろーなー」

19:00に間に合うように下見を切り上げて、吉田さんのルートファインディングで、草原を突っ切って近道して下山し始めると、15分くらい後にマーティンたちが谷から登り返してきて、私たちの後ろからついてきた。
ギルバートはアレクセイたちと先に下山していた。
草原を突っ切って下山。左端にキャンプサイトが見えている。


キャンプに着くと、夕食まであと45分だった。
少し歩き足りない気がしたので、テントの近くに見えているミニサイズのエアーズロックを一人で見物しにいった。

キャンプサイトの横に流れる浅くて広い川の真ん中に、浸食されずに残された垂直な岩山がそびえていて、気になっていたのだ。

近くまで行くとちょうど夕日がさして、良い景色だった。
地元の人が信仰の対象にしているのではないかと思ったけど、それらしい痕跡は見られなかった。でも、岩山の上に登っている形跡はあった。登ってみたけど、何も無かった。
夕日を受けて影に見える岩山。高さ5~6mくらい。

テントに戻ると、みんな夕食を食べ始めていた。翌日の予定はすぐに決まったので、早めに就寝した。

キャンプサイトは、標高3000mなので、昨夜よりも200mくらい標高が下がって、少し体が楽だ。と、言っても、夜は氷点下なので、レスキューシートは手放せなかった。

下痢がおさまらないのと、寒いので、夜は何度かトイレに起きるのだけど、テントの外に出るのがつらい。

気温の低い夜は、ダイヤモンドダストがキラキラと舞う中、トイレットペーパーを握りしめて、帰りに迷子にならないように振り返りつつ、ここぞという場所で決行する。

夜は誰も見ていないので、平原の真ん中で適当にやって、そのへんの土で隠しておくけど、周辺は馬や牛や人のうんこが散乱しているので、特に気にすることはない。

空気が乾燥しているので、一日ですべてがカラカラに乾いて、臭いもない。トイレットペーパーはゴミなので、持ち帰ってほしいけど、そのままにする人もいた。

その乾燥した気候のため、ゴミやトイレの処理が楽だった。
生ごみも、袋に入れて2~3日置いていても、臭いが出ないので、気にならない。日本だったら、ハエがたかって、悪臭が漂って、えらいことになるだろう。
遊牧民は、乾燥した馬や牛のふんを積み上げて、燃料として使っていたけど、全然汚い感じがしなかった。乾燥ってすごい。

2018年10月22日月曜日

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 5

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 5

近野由利子

9/9 朝起きると顔がむくんでいる。鏡は見ていないけど、感覚でわかる。
だいたい私は遠征のときは、疲れのために朝はむくみ顔なので、朝だけかなと思ったけど、どうやら高山病みたいで、一日中むくみっぱなしだった。

そして、やっぱり、昨日ずぶぬれになった登山靴は、がちがちに凍っている。
靴は一足しか持ってきていない。飛行機の荷物制限が23kgまでだったので、できるだけ荷物は減らしたのだ。着替えも1セットくらいしかない。

吉田さんは、いつも濡れた靴を履くときに、ジップロックを重ねて履いているので、私も真似して、ビニール袋を履こうとしていたら、カーチャがそれを見て、「私、予備の靴があるから、貸すわよ!」と言って、乾いた靴を貸してくれた。サイズもぴったりだ。おかげで日中、靴を乾かすことができた。

カーチャはいつもすごく優しい!しかも、サバサバした優しさで、相手に気を遣わせない。ERの医師だから、きっと色んな経験をして、人間力が高いのだろうと思う。
一方、人間力低めの私は、この後、濡れた靴を履いている吉田さんのところに行って、乾いた靴を自慢したことは言うまでもない。

今日は馬で山越えする予定。
みんなで近くの遊牧民の家に馬を借りにいった。
遊牧民が経営する宿の事務所?なのか、古いバスを家のように使っている。黄色いかわいいバスだ。その前に古いロシア製のバンが停まっていて、とても絵になる。男性陣は、ロシア製の武骨なバンに夢中になって、ぐるぐると見て回ってあーだこーだ言って写真を撮っていた。
ちなみに、街中でも、ロシア製の古い車を見ると、男子たちは色めき立っていた。言われてみると、変わったデザインでおしゃれかも。
古臭ーいバンを熱心に撮影するセシリオ

馬たちはすでに人数分、用意されていた。私は人生で初めての乗馬で、しかもいきなり山に登ることになるが、誰か乗り方を説明してくれるのかなーと思っていたら、何の説明もなく、「じゃあ、乗って」と遊牧民のお父さんから指示が出て、私には小柄な白い馬が割り当てられた。
スタンバイ中の馬たち

何も教えてもらえないので、お父さんの様子を観察して、真似をする。
前に進んでほしいときは、「チョッ、チョッ」と鋭く言いながら、馬の脇腹を両足で蹴る。止まりたいときは手綱を強く引く。曲がるときは、曲がりたいほうの手綱を引く。
コツは、常に強い意志を持って、馬をリードすること。

お父さんは、ずーっと馬の脇腹を蹴ってるのだけど、動物大好きの私は、可哀想でそれができない。
ええ、私は甘ちゃんです。厳しい自然では生き抜けません。
でも、しばらく乗っていると慣れてきて、形になってきた。

一方、吉田さんの馬は暴れん坊で、吉田さんが乗ってすぐ、突然爆走しはじめて、私と同じく乗馬経験の無かった吉田さんは、いきなりの馬の反逆に対してなすすべもなく草原の彼方に消えて行った。
草原に消える前の希望に満ちた吉田さん

で、吉田さんは星になったかと思ったら、しばらくしたら馬を連れてトボトボと帰ってきた。馬が一瞬、減速した隙に、すかさず飛び降りて、馬を止めたらしい。さすが、人間離れしている。
吉田さん「おい、俺が爆走してるの動画撮ったか?!」
私「え、そんな暇なかったよ」
吉田さん「何やってんだ!あれは撮らないと!」
私も必死だったんで、雄姿?を撮影できず、ごめんなさい。

全員揃ったところで、お父さんの道案内で、山越えの旅が始まった。
目的の洞口のある場所までは、2時間くらいかかった。遊牧民のお父さんが誘導してくれるけど、みんな慣れていないし、けっこう急な斜面もあり、長い道のりだったけど、ダイナミックな景色の中での乗馬はけっこう楽しかった!

吉田さんは、最初の馬が暴れ馬だったので、別の馬を用意してもらったのだけど、こっちの馬もちょっとクセのあるやつで、いきなり吉田さんを乗せたまま、しゃがみこむのだ。そのたびに吉田さんは落ちそうになって、焦っていた。周りのみんなは、「なんだ、カツジかー」って感じで全然心配もしていなかったけど。

目的の山に到着した。
到着した山の斜面から、谷を越えた向かいの山の岩壁にいくつか洞口のような岩陰が見える。
当初の目的は、来るときに道路からでも見えた大きな洞口のチェックだけだったが、それ以外にも穴が見えるので、マーティンのドローンを使って、中がつながっているか偵察した。
ドローンを飛ばしてみると、自分たちの立っている斜面の足元にも、岩陰があることが分かったが、いずれの穴も奥には続いていないことが確認できた。

ドローンのバッテリーにも限りがあるし、あまり期待したほどの結果ではなかったので、みんなしょんぼりしつつ、レナが持たせてくれたお弁当のハンバーガーを食べた。そのうち、14時ごろになって、カーチャが「もう帰ったほうがいいんじゃない?誰かさんの馬がまた暴れるかもしれないから、時間がかかるかも~」と、いたずらっぽく吉田さんを見た。
穴もないし、早々に退散だ。

帰りは、ずっと下りだし、馬も早く帰りたいようで、ルートを誘導しなくても自動運転でどんどん進んでくれて、1時間くらいで戻ることができた。
人数分の馬と、荷物運びの馬、遊牧民のお父さん2人のガイドを全部含めて、一人20ドルずつ支払った。


テントに戻ると、レナがメロンとお茶を用意してくれていた。
キルギスでは、よくメロンとスイカを食べたけど、どちらもとってもジューシーでおいしくて、みんなのお気に入りだった。

夕食後は、マーティンが今日撮影した、3D写真を見せてもらった。彼の最新技術にみんな興味津々で、マーティンを囲んで盛り上がったけど、どれも洞窟じゃなくて岩陰の写真だから、ちょっと寂しい。
「マーティン、岩陰写真集作れるね...」と吉田さんと日本語でつぶやいた。

夜のミーティングの結果、翌日からは東へ50kmほど移動した渓谷で洞窟を探すことになった。目的地に近い、次のキャンプサイトへ移動するために、朝から撤収するのだが、次の場所は、今のキャンプサイトよりは少し標高が下がるようなので、顔のむくみがマシになるかも。

思い起こすと、この最初のキャンプサイトが一番良かった。
標高が高いので、夜は寒いし、顔がむくむけど、天山山脈を借景に、きれいな川が流れていて、風もなかった。近くに住んでいる遊牧民の子供もかわいかったし、どこからかやってきた人懐こい子犬がキャンプサイトにいつもいて、平和な家みたいだった。

キルギスの犬や猫は、みんなのんびりしていた気がする。
東南アジアのほうでは、犬や猫は手荒く扱われるので、みんないつもどこかビクビクしているのだけど、キルギスでは、動物たちは悠々としていた。

2018年10月20日土曜日

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 4

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 4

近野由利子

9/8 今日はいよいよ洞窟さがし。
朝8:00に朝食後、準備をして、昨日と同じルートでキョルス湖へ。
洞窟のある対岸までは3kmくらいあるとのこと。車は、マーティンたちも使うので、いったんキャンプに戻り、18:00に迎えに来る予定だ。

私たちは、スペインチームと日本チームに分かれてボートに乗り込み、ときどき上陸して洞口らしきものを確認しながら進んだ。私のパックラフトは小さくて、浸水防止のデッキつきだったので、荷物を載せると私と吉田さんの2人が乗るのは大変だったので、岸辺があるところは私は歩いて行った。スペインチームの二人は、アレクセイの大型のボートで快適そうだ。
一人で満員状態のパックラフト

湖なので、流れがなく、風も吹いていないので、のんびりと漕ぎ進んだ。11:00すぎに出発して、3km地点まで到達したのは13:00、水がなくなる場所にたどり着いたときには14:00になっていた。湖の東側に、今までで一番広い谷があって、砂利や岩がたくさん流れてくる上のほうに、かなり大きな穴が見えた。
それまでに、いくつか洞口っぽいところを見たけど、どれも岩陰とかクラックで、がっかりし続けて、元からこのエリアに感じていた不信感と相まって、かなりやる気が落ちていたので、その穴を見ても私と吉田さんは「どーせ、すぐに終わってるでしょ」と言って、だらけていたのだが、セシリオとミゲルは不屈の探求心でガシガシと岩山を登って、穴に入って行った。吉田さんはすっかり拗ねて、下のほうで寝転がっていたけど、私はどうせやることもないので、セシリオとミゲルの後を追って、岩山に登って行った。
足場が良くないし、空気が薄いので、少し登るとすぐに息が切れて、穴にたどり着くまでに30分くらいかかってしまったが、たどり着くと、それは立派な洞窟だった。
セシリオはさっそく測量を始めている。
下にいる吉田さんに無線で「ちゃんとした洞窟だよー」と連絡して、中に見に行くと、ちゃんと洞窟サンゴができていた。気温が低くて、水流が凍り、氷瀑もできている。セシリオの測量によると、総延長255mの斜洞であることがわかった。
後から吉田さんも登ってきて、氷瀑で写真を撮っていた。
初のちゃんとした洞窟!
こんなところに洞窟ができるわけないと思っていたけど、ちゃんとできているのを見て、目からウロコが落ちた。この洞窟を見つけたおかげで、この後のモチベーションを保つことができた。
そして、さすがスペインチーム、ラテン系だから適当だろうと思っていたけど、真面目にコツコツ探す姿勢に感心した。遠征中は、この二人の変わらない情熱に驚きっぱなしだった。


ひとしきり洞窟を探検して、下山したのは16:00。アレクセイのお迎えの時間は18:00なので、もう引き返さなければ。

洞窟の対岸のほうに見える穴が気になったので、そこに寄り道してから再び漕ぎ出すと、なんと!北風がビュービュー吹き始めている!
私たちの進行方向は北なので、つまり向かい風だ。私たちは小さなパックラフトに2人乗りで、パドルが1つしかないので、吉田さんが一人で漕いでくれて、私は風の抵抗にならないようにできるだけ小さくなって必死だった。気温が下がってきて、水しぶきがかかるとめちゃめちゃ寒い。
行くときののんびりムードはどこへやら、辛すぎて笑えるほど。セシリオとミゲルもニヤニヤしながら、ひたすら漕いでいる。「スペインに負けるなー!ひー、寒いー!」とか言いながら、気が付くとスタート地点の岸辺が見えてきたけど、これがなかなかたどりつかない。

吉田さんのスーパーパワーでスペインチームをぶっちぎって、ちょうど約束の18:00にスタート地点に到着したときには、全身濡れて、ガタガタ震えていた。少し遅れてアレクセイの車が来たので、みんなそさくさとキャンプへ帰っていった。
キャンプでレナが温かい夕食を用意してくれていて、本当にありがたかった。

マーティンたちは、目的の穴へ近づく道が見つからなかったらしい。車を使えないので山を登るしかないが、山道がかなり長くて歩いて行くのは大変だけど、馬に乗ればいいとトゥルンの薦めで、次の日は馬に乗って山越えをすることになった。
キャンプサイトの隣で宿をやっている遊牧民にトゥルンが話をして、1日11ドルで馬を貸してくれることになった。

その日の夜は、前日よりも冷え込んだ。
昼間、服も靴も濡れたけど、これだと全部凍るだけで乾かないだろう。
気温を測ってみたら、深夜に-7℃まで下がっていて、レスキューシート1枚だけでは足りなくて、少し厚手の高級なレスキューシートも導入して、シート2枚重ねでしのいだ。


キョルス湖だが、Google Earthで見ると、長さ11kmくらいなのだけど、私たちが行ったときは水が干上がっていたので、半分以下のサイズになっていて、下の黄色い線くらいの大きさだった。



2018年10月18日木曜日

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 3

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 3

近野由利子

今回の遠征のルートは以下のとおり。
C地点の付近がコキヤ(Kok-kiy)エリア。ここから、さらに中国国境近くまで南下したところにキョルス(Kel-suu)湖という小さな湖があって、その湖の南端に洞窟があるという情報あり。まずはそこを確認するためのキャンプを設営、その後キャンプを移動して、さらに50kmほど東側の渓谷付近を調査。
最後に、少し北へ戻り、ナリン(Naryn)という小さな町の近くにある山(B地点)を調査する。



しかし、昨日アレクセイがミーティングのときに、ターゲットエリアの写真を見せてくれたのだけど、どの写真を見ても、洞窟が無さそうだった。
すでに確認済みという洞窟の写真も、規模が小さくて、たまたまちょっと空いてますって感じだった...。
他のメンバーは、ケイビングの経験の少ないメンツばかり...。
この負け試合感たっぷりなスタートから、どんな遠征になるのか、ワクワクヒヤヒヤしつつのキルギス2日目を迎えた。

6/9 10:00ごろに来るという話だったスペイン人2人組は、ちょっと早めの9:30にはホテルに到着した。
一目見て、経験豊富なケイバーといった雰囲気の、40~50代くらいの男性二人組、セシリオとミゲルだった。セシリオは愛嬌を含んだまなざしの巻き毛のナイスガイで、ミゲルは不器用そうな大柄の無口なタフガイタイプ。二人とも英語はあまり得意でないけど、体力も経験もあるので、チームのみんなに頼られた。

さすが、参加者はみんなフットワークが軽くて、荷物を次々と車に積み込んで、11:00になる前に全員がミニバスと4WDのミニバンに乗り込んで、出発した。
今日中にコキヤまで行くのは無理なので、途中のナリンで一泊する予定だ。
道中、スーパーで買い物したり、サービスエリアみたいなところでランチを食べたり、そのあとは1時間おきにトイレ休憩でストップした。どうやら、車を定期的に休ませたいみたいだった。
スーパーの向こうに見える天山山脈の大迫力

スーパーやサービスエリア的なレストランでは、トイレが有料だった。5ソム硬貨を、入り口のカウンターにいるおばちゃんに渡すと、カウンターの小窓に棒に刺したトイレットペーパーがあって、女性にはそれを少しちぎって渡してくれる。
ちなみに、キルギスのトイレットペーパーはダブルで厚手で、比較的いい紙だった。経済力が低い国はトイレットペーパーが薄くて粗いのだけど。キルギスは裕福な国ではないから、紙を薄くするセコさが身に付いてないのではないかな。大国ロシアに守られてきた箱入り娘なのかも。
なお、最近、日本のトイレットペーパーの質が下がってきているので、日本経済を憂いているところ。
サービスエリア的なレストランのビュッフェはボリューム大!


15:00にはキルギスの有名なリゾート地イシククル(Ysyk-Köl)湖に到着した。ここで、チームのごはんを作ってくれる、コックのレナをピックアップした。

イシククル湖の横をかすめただけなので、透明で美しいという湖畔を見ることはできなくて、石の山と枯草ばかりの景色の中、車を走らせた。日本人には見慣れない景色だけど、カリフォルニア在住のギルバートは、「うちの近所とほとんど植生とか地形が同じだよ」と言っていた。

ナリンに近づくと、田舎というか、僻地っぽくなってくる。
道沿いに出店が並んでいるところで休憩した。
ここで、トゥルンは「これクルシュだよ。飲んでごらん。」と出店のおばちゃんから白い飲み物が満タンに入ったコップを受け取った
こ、これは!おなじみの発酵食品だ!
だいたい探検に行くと、その国の発酵した「何か」を食べることになるのだが、キルギスの場合は、馬の乳を発酵させてみましたー、ということで馬乳酒でした。

飲んでみたら、ちょっと酸っぱいけど、特に嫌な感じはしない。この後も何度かクルシュを飲んだけど、この店のクルシュは味がいまいちだった。
ただし、味よりも、手作りで、表面にいろいろ浮かんでるクルシュをガブ飲みするのはちょっと無謀だ。みんなで一口ずつ味見して、トゥルンに返すと、トゥルンも出店のおばちゃんにコップを返して、おばちゃんはそのまま残りをジャバッとタンクに戻した。
うーん。いいけど。初日にお腹は壊したくないのだ。

道路わきでクルシュを売る出店

18:00にはナリンに到着して、アレクセイの友達が経営するというゲストハウスに宿泊した。

到着すると、さっそくレナが夕食を作ってくれると言って、ゲストハウスのキッチンで料理を始めた。とりあえず、手伝えることが無さそうだったので、ふらっと街に出ることにした。
マーティンとカーチャ、ギルバートも、散歩に出かけていた。

ナリンは、キルギスの南のほうで乗馬や登山をする外国人が宿場に使っているようで、英語の表示があるホテルやゲストハウスがちらほら見られるけど、基本的には田舎町だった。
スーパーや店の看板が地味で、入り口も閉まっていて、外から見るとあんまり店っぽくない。18:00にはほとんどの店が閉まるので、この日は小さな売店くらいしか営業していなかった。
ナリンの町。左の建物はスーパーマーケット。地味~。

80ソムのビールを買ってゲストハウスに戻り、しばらくすると夕食ができた。レナは慣れないキッチンでいきなり12人分の食事を作ったので、勘が狂ったらしく、スープの量が極小だったけど、味は良かった。レナの料理はいつもやさしい味で、この日以降はいつもボリューム満点だった。
ゲストハウスの食堂


夕食を食べ始めたのが21:00ごろで、みんな疲れていて、食後はそれぞれ散り散りに部屋に帰って就寝した。標高2000mの町なので、夜はけっこう冷え込んだ。

このゲストハウスは、シャワーが母屋に1つしかないので、翌朝は早起きしてシャワーを浴びに行った。私が入ろうとしたら、ちょうどセシリオと鉢合わせした。セシリオは昨日の朝にスペインからキルギスについたばかりで、長旅で疲れているだろうと思ったけど、シャワーの権利は譲れない!と思って笑顔でシャワールームを奪い取った。
もちろん、できるだけ早めに浴びて、あとはセシリオに譲ったけど、若き日の私なら、もじもじしてシャワーは諦めただろう。この図太さはオバチャン効果か、探検家のサバイバル力か?

この日は9:20には朝食も済ませて出発したが、途中、アレクセイが乗る4WDとはぐれて、私たちのミニバスは、滝のある谷の入り口で1時間ほど待機した。
ここには洞窟から水流が流れ出す滝があって、みんなワクワクして見に行ったのだけど、洞窟は小さくて入れなかった。
洞窟から滝が流れ出すワクワクポイント

ここで気づいたのだが、セシリオが着ているTシャツにはLA VENTAのロゴが入っている!LA VENTAはイタリア人が中心の探検チームで、北極やナイカ洞窟やギアナ高地など、世界中でかっこいい洞窟探検をして、さらに写真や映像まで作っているのだ!あこがれのLA VENTAのメンバーに会えるとは!と、いきなり一人で大興奮!
聞いてみると、セシリオはLA VENTAのメンバーではないけど、LA VENTAが行ったメキシコのチャパスの探検に参加したらしい!やばい、かっこいい。
もう洞窟が見つからなくても満足かも。

その後、さらに南へ車を走らせると、中国との国境に近づくので、軍のチェックポイントを2か所通過しないといけない。事前の許可書が必要で、アレクセイが全員の許可書を用意してくれていた。
1つ目のチェックポイントで、書類のチェックをして、2つ目のメインチェックポイントでパスポートと各自の顔を見比べて確認すると言う念の入りよう。車から降りなくてもいいけど、兵士は真面目に書類を確認する。
敵国?アメリカ国民のギルバートは、ちょっとみんなよりも長めに書類を確認されていた。実は、許可書の発行も、みんなよりも時間がかかったらしい。冷戦時からの確執は根深い。

チェックポイントを無事に抜けると、いよいよコキヤだ。標高は3000m。
第一のキャンプサイトには15:30に到着した。
川岸のだだっ広い平地に、ユルタという移動式住居の宿を経営している遊牧民の家族がいて、その隣にキャンプを作った。この家族の子供は、小学生くらいだけど、平然と大きな馬を乗りこなす。彼らが馬を走らせる姿は、間近に見るとなんとも美しくて、見とれてしまう。
大きな馬を乗りこなす少年。走る姿は美しすぎて写真撮れなかった。

全員のテントと、食堂の大きなテントを設営しても、まだ17:00で、日没の遅いキルギスではまだ時間がある。
私と吉田さん、セシリオとミゲルは、アレクセイと一緒にキョルス湖へ下見に行くことにした。キョルス湖はキャンプサイトから6kmほど南にある。
4WDで川をいくつも渡って行くが、あまりの悪路で湖の手前で車はストップしてしまい、あとは徒歩で向かった。
川を越えるのに一苦労
渓谷の川の始まりのところに、大量の落盤がたまっていて、それが自然のダムとなってキョルス湖ができたのだ。落盤が散らばる丘を抜けると、突然、湖が現れる。
落盤が散らばる丘
アレクセイは事前のメールで、夏は湖の水が枯れて、歩いて対岸まで行けると言い張ったけど、案の定、キョルス湖はきれいな青い水をたたえていた。
歩いて行ける範囲でも、いくつか洞窟っぽい穴があったけど、どれも立派な岩陰だった。

突然現れるキョルス湖。左側に黒く見えるのは大きな岩陰。
キャンプに帰ると、レナが夕食を用意してくれていた。
食事の後、翌日の計画について話し合った。
私と吉田さん、セシリオとミゲルはキョルス湖を越えて対岸の洞窟を確認に行くことになった。アレクセイの持っている2人乗りのゴムボートと私が持って行ったパックラフト(1.5人乗り?)を使って、湖を渡るのだ。
マーティンとカーチャ、ギルバートは、道路から山の中腹に見えた大きな穴へ行くルートを探しに行く。マーティンは、3DやVR、ドローンなど最新技術を駆使した映像を作る写真家で、ナショナルジオグラフィックの仕事もしたことがある有名人。ドローンで3D写真を撮影して、山の上にある穴が奥に続いているか、確認できるのだ。彼の技術とハイテク装備の数々は、遠征中に大活躍した。
翌日の計画を話し合う
さて、明日に備えて寝ることになった。
まだ夏の終わりのキルギス。昼間は15~20℃くらいの気温で快適なのだけど、日が落ちると急激に気温が下がり、標高3000mのコキヤは夜には氷点下10度になる日もある。キャンプサイトは標高3300mだった。初日の夜、氷点下でのテント泊の洗礼を受けた。何も考えずに持ってきた寝袋ファイントラックのポリゴンネストは、夏秋用で、使用できるのは7℃までだった...。

ダウンジャケットとフリースを着て寝袋に入ったけど....寒い!
死ぬかもしれない…。
あわてて、非常用に持っているレスキューシートで寝袋を包むようにしたら、温かく寝ることができた。レスキューシートは、ケイビングのときも待機中に暖をとるため使うので、バッグの中とヘルメットの中に常備している。
私は登山はあまり行かないので、こんなに標高の高い場所でキャンプしたことがなかった。翌日からは、徐々にごく軽い高山病の症状が出たり、標高が体に与える影響を実感できて、いろいろと良い経験になった。


2018年10月16日火曜日

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 2

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 2

近野由利子

キルギスに到着したのは、日本を出発した翌日の9/5、夜明け近い5:30。
キルギスの首都ビシュケクにあるマナス国際空港に到着した。
空港は小さくてシンプル。朝早いのに、到着ゲートにはたくさんのお迎えの人とタクシーの運ちゃんが集まっていた。
探検は9/6朝の出発なので、到着した日はアレクセイが予約してくれたホテルで待機する。ホテルからお迎えの車が来ているはずなので、お迎えの人たちが持っている名前の書いた紙をひとつひとつ見て歩く。
ロシア人(キルギス人だけど)みんなデカい!紙が見えない!
私が近づくと、みんな紙が見えやすいように、下のほうに向けてくれる。その中から無事に自分の名前を発見した。
吉田さんは、姿が見えないと思ったら、知らないうちに白タクのおじさんに付き添われていた。
お迎えのタクシーの運ちゃんはロシア系の青年で、英語は話さない。早朝のビシュケクを、無言の運ちゃんが運転するタクシーで走り、6:00すぎに市内のホテルに到着した。

ホテル(Asian Mountains Hotel)は街はずれの線路わきにあった。場所が悪いけど、山小屋風の小さなかわいいホテルで、デスクの人も親切だし、すごく良い印象だった。たまに電車が通るときに騒音があるけど、それほど気にならない。電車はモスクワからキルギスのリゾート地イシククル湖まで走っているというので、この電車はモスクワから来たのかなーなどと思うと旅情を感じて、なかなか良かった。
ホテルはAsian Mountains Hotelという名前で、名刺もそうなっているけど、なぜかネットの地図で探すと、Salut Hotelとなっている。近所に、別のSalut Hotelがあるので、混同されているのかもしれない。
私たち以外のゲストもみんな、登山やアウトドアアクティビティで郊外へ旅する前にビシュケクに滞在している外国人のようだった。
ホテルで飼われている猫嬢。白足袋履いててすっごくかわいい!

チェックイン後、14:00からホテルの会議室で、探検の内容についてのミーティングがあるけど、それまではヒマ。少しだけ仮眠してから、街に出てみた。
目的は 1.両替、2.水を買う、3.WiFiルーターとSIMが売ってる場所を確認。

1.両替については、街にいっぱい両替所があるし、銀行でも両替できる。ただし、使えるのはドル・ユーロ・ルーブルだけ。日本円は両替できない。
キルギスの通貨は「ソム」で、50ドル=3432ソムだった。だいたいどこでも同じくらいのレートだった。

2.ビシュケクの町はとても都会で、スーパーも小さな商店もたくさんあって、買い物には困らなかった。500mlのペットボトルの水は、21ソム(約40円)だった。

3.SIMはキオスクで売っていたけど、WiFiルーターは、見つからなかった。ネットでは、百貨店で売ってると書いていたのだけど、百貨店が見つからなかった。なにしろ、文字がアルファベットじゃなくて、キリル文字なので、簡単な単語もわからない。地図を見ても、お店マークは書いてるけど、どんな店なのか、名前から想像することができない。
どっちみち、翌日からは電波が通じないエリアに行くので、WiFiルーターなんか買っても無駄だと思って、すぐにあきらめた。
WiFiルーターは、吉田さんがいつも欲しがるので探してみることにしている。彼は、仕事が忙しいので、少しでもいいからWiFiのある場所にいたいらしい。大変です。

11:00ごろに空腹になったので、ホテルに帰って、吉田さんを誘ってホテルのランチを食べた。吉田さんは、ずっと部屋で仕事をしていたらしい。
ホテルのランチは、ボルシチとサラダとパン(黒パンか白パン選択)。ボルシチは肉の出汁が効いていて、野菜たっぷりで、すごくおいしい。日本人に合う味だと思う。どの店でもボルシチはだいたいおいしかった。
その一方、サラダは、キャベツが大きすぎるし、ドレッシングが工夫のない味で、いまいちだった。黒パンは、ドイツの黒いパンを想像して食べたら、何だか違っていて、味のないパンだった。
吉田さんは大半を残して部屋に去って行き、私はいつものとおり残りを片付けた。吉田さんは日本食をこよなく愛するがゆえに、海外では極端に小食になるのだった。私はけっこう大食いなので、いつも吉田さんの食べ残しをあてにしている。

14:00になったので、ホテルの地下にある会議室へ行った。
ホテルの地下には、アウトドアツアー会社のオフィスと、会議室があった。ホテルのゲストたちはここのツアー会社のお客さんのようだ。
会議室は10人くらいでいっぱいになりそうな小さな部屋で、四角く配置した長机の前にホワイトボードが立ててあって、ホワイトボードの前にロシア系の男の人が2人と、アジア系の男の人が一人立っていた。
長机には、若いアジア系の男の人が座っていて、どうやらこの人は探検の参加者らしい。

前に立っていたアジア系の人が「さすが、日本人は時間に正確ですね」と英語で話しかけてきた。
この人は通訳のトゥルンで、英語・ロシア語・ドイツ語・日本語が話せるマルチリンガルなキルギス人だった。おなかがかなり出ていて恰幅が良いので一目見たら忘れないし、話してみるとすごくユーモアがあって博識なので、チームの人気者だった。酔っぱらうと少し話がしつこいのが玉に瑕だけど。
前に立っているロシア系の若いほうの男性がアレクセイで、年配の人は地質学者のセルゲイだった。あとで知ったのだが、この二人は親子らしい。
あとから、スウェーデン人のカップルがやってきた。ネイチャー系写真家のマーティンと、ERの医師のカーチャだ。二人は絵に描いたような美男美女カップルで、陽気で賢いのでチームのムードメーカーだった。
最初から会議室にいたアジア系の若者は、アメリカ人のギルバートで、ケイビングは最近始めたばかりとのことだった。両親はベトナムとミャンマーの少数民族の出身だそうで、見た目はアジア人だけど、中身は完全にアメリカ人だった。アメリカの政府機関で、エンジニアとして働いているらしくて、めちゃめちゃ賢いし、若いのに人間ができている。遠征中、ずっと吉田さんにちょっかいかけられていたけど、すべてを受け流して、笑顔で対応していた。
あとは、スペイン人とブルガリア人が参加するのだけど、彼らは遅れてくるそうなので、マーティンとカーチャが登場したところでミーティングが始まった。

探検についてのミーティングはアレクセイとセルゲイの説明を、トゥルンが通訳して行われた。アレクセイがキルギス洞窟保護基金の事務局長で、今回の探検を計画した。ロシア版ダニエル・クレイグって感じの渋いイケメンで、英語は6カ月前から勉強し始めたばかりでほとんど話せない。どおりで、出発前のメールのやりとりが要領を得ないはずだ。
セルゲイはキルギスで最初のケイバーで、今も積極的にキルギスの洞窟を調査している。セルゲイはほとんど英語は話せない。
二人がコキヤの地質と過去の資料について説明し、探検の行程について提案し、そのあとはみんなで装備や目的について簡単に話し合った。
しかし、みんな初めて会って、キルギスも初めてなので、基本的に計画はアレクセイの提案どおりに進めるしかない。
みんなで地図を見て話し合う

このあと、アレクセイに探検に必要な費用を支払って、いったん解散した。探検の出発は、翌日10時ごろ、スペイン人の到着後となった。

ちなみに、アレクセイに支払った費用は、720ドル。2週間の交通費と食費、その他装備も全部アレクセイが用意してくれたので、結果的に高くなかったと思う。しかし、探検と言って参加者を集めつつ、ある程度の利益を見込んでいるのは間違いないようだ。ただ、完全に金儲けでやってるのかと言うと、それにしてはアレクセイとセルゲイは本当にキルギスの地質や洞窟をよく調べている。私の印象では、この活動で資金を得て、キルギスの洞窟の保護に役立てたいと考えているのかなと思った。
調査も進めつつ、将来の資金も集められて、キルギスの良さも宣伝できるし、いいんじゃない?金を儲けることは悪いことじゃない。
実際、キルギスの洞窟や自然は、観光化の目的や、地元の人の認識不足のため、少しずつ破壊されているので、ネイチャーツアーとして洞窟を活用するにしても、保護は進めたほうが自国の利益になることは間違いない。

ミーティングは16:00ごろに終わって、参加者はそれぞれ、買い物のために町に出て行った。私と吉田さんも町に出たけど、途中でギルバートに会ったので、3人でアウトドアショップに行った。ギルバートは防寒着をあまり持ってきていなくて、心配だからダウンジャケットを買うと言う。
アレクセイによると、標高の高いところでは夜は氷点下10度まで下がるらしい。しかし、キルギスのアウトドアショップで売っているものは98%がロシアのRedFoxというメーカーのもので、値段は高くないけど、かなり型遅れで色も悪い。テントもジャケットもザックも、全部RedFoxばっかりなのだ!
ギルバートは店頭ですごく悩んで、「あー、ダウン持ってきたら良かったー」とこぼしつつ、1万円くらいのモッコモコした芥子色のダウンジャケットを買った。でも実際にフィールドでは毎晩すごーく寒かったので、ギルバートがRedFoxを着ない夜は無かったし、後悔してなかっただろう。
私と吉田さんは、韓国製のバーナーのガス(@400ソム/約650円)を買ったけど、こっちはほとんど使わずに終わって、最後はアレクセイにプレゼントして帰ってきた。

買い物の後、私と吉田さんは、ネットで調べた日本料理店へ夕食に行った。
吉田さんは、日本食をこよなく愛するので、海外では必ず日本食料理店をチェックする。ビシュケクではFURUSATOという、地元のセレブに人気の店に行ってみた。
ネットでは予約しないと入れないときがあると書いてあったけど、運よくテーブルが空いていた。
一人一食20ドルくらいで、ボリュームたっぷり、味も最高だし、オーナーも店員もサービス満点で、今まで行った海外の日本食料理店でも最高レベルだった。特にすごいのが、寿司についてくるガリ!ガリは、海外では再現しにくいみたいで、だいたいの店で謎めいた味になるのだけど、この店のガリは、日本と同じ味!
オーナーにこの感動を伝えたら、ガリのおかわりをくれました。
ぜひ、ビシュケクに行ったら、みんなFURUSATOに行ってほしい!

と感動を抱きつつ、この日はホテルに帰って、だらだらして過ごした。
翌日は探検に出発だけど、遅めのスタートだから、パッキングも明日やりなおせばいいやーとのんびりした。




キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 1

キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 1

近野由利子

2018年9月はキルギスへ洞窟探しに向かいました。キルギスの場所はこちら
カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国に囲まれています。キルギスも昔はキルギスタンって国名だったので、今でも、よく古い名前が使われています。「スタン」はペルシャ語で「~が多い場所」って意味らしい。「キルギス人が多い場所」って感じですかね。
中国との国境側には、有名な「天山山脈」という山があります。かの有名な三蔵法師が、中国から山越えでキルギスに入国したと伝えられる、ありがたい山です。一番高い山は7000mを超し、かなり遠くからでも目をひく、国のシンボルのような山のようです。
かつてロシアだったこの辺り、私はロシアから分かれた国ってイメージしかなかったのですが、キルギス人は歴史のある人種だそうで、誇り高い民族でした。

基本的に海外へ行く理由は、洞窟を探すためで、洞窟がたくさんありそうな国は、何度も行くことにしています。2016年からは毎年ラオスに通っています。
ちょっと他の国も開拓したいなと考えて、今回は予備調査としてキルギスに行ってみました。結論として、たぶんキルギスにはもう行かないと思う。なので、記録としてブログに書いておこうかと。


なぜキルギスか?

キルギスをターゲットにした理由は単純です。
The Union Internationale de Spéléologie (UIS)という、”世界洞窟協会”みたいな集まりがあって、そこのウェブサイトのイベントカレンダーを見ていたら、キルギスの洞窟保護団体が探検の予定を公開していて、「参加者募集中」と書いてあったのです。
(おお!)
と思って、すぐにメールしてみたら、
「ぜひともご参加ください」
と返事がきた。
「じゃあ、行きます」
と返事しちゃったのでした。これが6月か7月くらいだったと思う。
このへん、非常に安易で無計画でした。いつものことですが。

先方のウェブサイトを見ると、コキヤ(Kok-kiy)というエリアが未探検だと書いてて、写真を見てもすごい絶景なので、そこに行きたかったのだが、あいにくコキヤに行くプロジェクトは予定がないそうで、別のエリアにいくスペインチームがいるから彼らと同行してはどうかと提案された。
2016年にスペインに行ったときから、スペイン人ケイバーの素朴な人の好さを大好きになったので、喜んで同行すると返事した。

数週間後、近所に住む探検仲間(吉田さん)に会ったとき、自慢してやろうと思って「私、キルギス行くんだー!」と言ったら、「俺も行くー!」となって、同行することに。吉田さんが、日本人チーム(二人ですが)で行きたいとか、未探検のコキヤに行きたいとか、あれこれ言うので、キルギス人と交渉してみたら、「じゃあ、コキヤのプロジェクト作るよ」とすんなりとコキヤの絶景に行けることになってしまった。
Kok-kiyの絶景 
(from Website of the Fund of Preservation and Exploration of Caves)

吉田さんは、もう20年来のつきあいの探検仲間で、いつも面倒臭いことばかり言うのだけど、結果的に良いときもあるので、バカにできないのです。


いろいろあった

キルギス遠征は、9/4出国 9/19帰国で計画した。
私は3月に一ヶ月間、ラオス遠征に行ったときの経済的打撃が大きく、仕事とバイトでバタバタしながら9月まで過ごしていた。合間には、最近ゲットしたパックラフトで川遊びを開拓したりもしていた。
パックラフトで川遊び(北山川)


たまに、キルギスには質問や、こちらの装備リストを送ったりして、連絡していた。キルギス側は、キルギス洞窟保護団体のアレクセイ(Alexey)が窓口だが、いつも何だか返事があいまいで的を得ない。外国人とのやりとりは、いつもそんな感じになるのだけど、ちょっと心配になった。
コキヤを調べてみた。なんか写真を見ても洞窟なさそう....。
でも、地質図を見ると石灰岩だから...。今まで見たことない場所だから、行ってみないとわからないかな...。(しかし、洞窟なさそう...。)
それより、アレクセイがすごく悪いやつだったらどうしよう、と不安になったりしたけど、今回は吉田さんが一緒だから、何かあっても安心だ。一人だったらもっと不安だったけど。

さらに、探検スケジュールの相談をしていたら、アレクセイが知らないうちに他の国からも参加者も集めていたことが判明した。私と吉田さんの二名の日本人以外に、アメリカ人1名、スペイン人2名、スウェーデン人2名、ブルガリア人1名のインターナショナルチームになっていた。
個人的には、それは全然問題ないし、むしろ人が多いほうが楽しいのだけど、出発の2週間前とかに言うなよ、と思った。

出発の9/4、日本列島には2018年最大級の台風21号が迫ってきていた。
台風の報道も前日からすごい剣幕で、私も本当に出国できるのかと心配で、暇さえあれば天気予報や航空会社の情報サイトをチェックしていた。
キルギスへは、ロシアの航空会社エアロフロート(Aeroflot)で成田~モスクワ、モスクワ~キルギスと飛ぶ。成田発は12:30の予定で、台風の上陸は午後になる予報だったので、午前中の国内移動(愛知~東京)もギリギリセーフとなり、問題なく出国できた。少し飛行機が揺れたくらい。

モスクワでトランジットしていたら、国内にいる友人から、関空の橋が壊れたとか、いろいろと台風情報が送られてきて、なんだか焦った。
こんなところ(モスクワ)で、コーヒー飲んでダラダラしていていいのか、と。

私は気づいていなかったのだけど、モスクワはキルギスよりもかなり北西に位置するので、モスクワ経由のこの経路は、ずいぶん遠回りだったのだ。だけど、これ以外はほとんど中華系の航空会社で、乗り継ぎが悪い割には安くなかった。ほかの参加者に聞いたら、トルコ航空で来た人が多かったように思う。

そういえば、じつは、出発の前日に吉田さんと、ラオスの探検のことでケンカになって、微妙なムードだったのだ。どちらも意地っ張りなので、ちょっとどうなるかなーと思ったけど、そこはもう20年来の探検仲間なので、何も問題なかった。

とにかく、出発前はいろいろとザワついた。
今思えば、この遠征の全てを示唆していたとしか思えない。