キルギス洞窟(岩陰)探検遠征 1
近野由利子
2018年9月はキルギスへ洞窟探しに向かいました。キルギスの場所はこちら。
カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、中国に囲まれています。キルギスも昔はキルギスタンって国名だったので、今でも、よく古い名前が使われています。「スタン」はペルシャ語で「~が多い場所」って意味らしい。「キルギス人が多い場所」って感じですかね。
中国との国境側には、有名な「天山山脈」という山があります。かの有名な三蔵法師が、中国から山越えでキルギスに入国したと伝えられる、ありがたい山です。一番高い山は7000mを超し、かなり遠くからでも目をひく、国のシンボルのような山のようです。
かつてロシアだったこの辺り、私はロシアから分かれた国ってイメージしかなかったのですが、キルギス人は歴史のある人種だそうで、誇り高い民族でした。
基本的に海外へ行く理由は、洞窟を探すためで、洞窟がたくさんありそうな国は、何度も行くことにしています。2016年からは毎年ラオスに通っています。
ちょっと他の国も開拓したいなと考えて、今回は予備調査としてキルギスに行ってみました。結論として、たぶんキルギスにはもう行かないと思う。なので、記録としてブログに書いておこうかと。
なぜキルギスか?
キルギスをターゲットにした理由は単純です。
The Union Internationale de Spéléologie (UIS)という、”世界洞窟協会”みたいな集まりがあって、そこのウェブサイトのイベントカレンダーを見ていたら、キルギスの洞窟保護団体が探検の予定を公開していて、「参加者募集中」と書いてあったのです。
(おお!)
と思って、すぐにメールしてみたら、
「ぜひともご参加ください」
と返事がきた。
「じゃあ、行きます」
と返事しちゃったのでした。これが6月か7月くらいだったと思う。
このへん、非常に安易で無計画でした。いつものことですが。
先方のウェブサイトを見ると、コキヤ(Kok-kiy)というエリアが未探検だと書いてて、写真を見てもすごい絶景なので、そこに行きたかったのだが、あいにくコキヤに行くプロジェクトは予定がないそうで、別のエリアにいくスペインチームがいるから彼らと同行してはどうかと提案された。
2016年にスペインに行ったときから、スペイン人ケイバーの素朴な人の好さを大好きになったので、喜んで同行すると返事した。
数週間後、近所に住む探検仲間(吉田さん)に会ったとき、自慢してやろうと思って「私、キルギス行くんだー!」と言ったら、「俺も行くー!」となって、同行することに。吉田さんが、日本人チーム(二人ですが)で行きたいとか、未探検のコキヤに行きたいとか、あれこれ言うので、キルギス人と交渉してみたら、「じゃあ、コキヤのプロジェクト作るよ」とすんなりとコキヤの絶景に行けることになってしまった。
Kok-kiyの絶景 (from Website of the Fund of Preservation and Exploration of Caves) |
吉田さんは、もう20年来のつきあいの探検仲間で、いつも面倒臭いことばかり言うのだけど、結果的に良いときもあるので、バカにできないのです。
いろいろあった
キルギス遠征は、9/4出国 9/19帰国で計画した。
私は3月に一ヶ月間、ラオス遠征に行ったときの経済的打撃が大きく、仕事とバイトでバタバタしながら9月まで過ごしていた。合間には、最近ゲットしたパックラフトで川遊びを開拓したりもしていた。
パックラフトで川遊び(北山川) |
たまに、キルギスには質問や、こちらの装備リストを送ったりして、連絡していた。キルギス側は、キルギス洞窟保護団体のアレクセイ(Alexey)が窓口だが、いつも何だか返事があいまいで的を得ない。外国人とのやりとりは、いつもそんな感じになるのだけど、ちょっと心配になった。
コキヤを調べてみた。なんか写真を見ても洞窟なさそう....。
でも、地質図を見ると石灰岩だから...。今まで見たことない場所だから、行ってみないとわからないかな...。(しかし、洞窟なさそう...。)
それより、アレクセイがすごく悪いやつだったらどうしよう、と不安になったりしたけど、今回は吉田さんが一緒だから、何かあっても安心だ。一人だったらもっと不安だったけど。
さらに、探検スケジュールの相談をしていたら、アレクセイが知らないうちに他の国からも参加者も集めていたことが判明した。私と吉田さんの二名の日本人以外に、アメリカ人1名、スペイン人2名、スウェーデン人2名、ブルガリア人1名のインターナショナルチームになっていた。
個人的には、それは全然問題ないし、むしろ人が多いほうが楽しいのだけど、出発の2週間前とかに言うなよ、と思った。
出発の9/4、日本列島には2018年最大級の台風21号が迫ってきていた。
台風の報道も前日からすごい剣幕で、私も本当に出国できるのかと心配で、暇さえあれば天気予報や航空会社の情報サイトをチェックしていた。
キルギスへは、ロシアの航空会社エアロフロート(Aeroflot)で成田~モスクワ、モスクワ~キルギスと飛ぶ。成田発は12:30の予定で、台風の上陸は午後になる予報だったので、午前中の国内移動(愛知~東京)もギリギリセーフとなり、問題なく出国できた。少し飛行機が揺れたくらい。
モスクワでトランジットしていたら、国内にいる友人から、関空の橋が壊れたとか、いろいろと台風情報が送られてきて、なんだか焦った。
こんなところ(モスクワ)で、コーヒー飲んでダラダラしていていいのか、と。
私は気づいていなかったのだけど、モスクワはキルギスよりもかなり北西に位置するので、モスクワ経由のこの経路は、ずいぶん遠回りだったのだ。だけど、これ以外はほとんど中華系の航空会社で、乗り継ぎが悪い割には安くなかった。ほかの参加者に聞いたら、トルコ航空で来た人が多かったように思う。
そういえば、じつは、出発の前日に吉田さんと、ラオスの探検のことでケンカになって、微妙なムードだったのだ。どちらも意地っ張りなので、ちょっとどうなるかなーと思ったけど、そこはもう20年来の探検仲間なので、何も問題なかった。
とにかく、出発前はいろいろとザワついた。
今思えば、この遠征の全てを示唆していたとしか思えない。
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